ー友達とは、日々公人としての自分を忙しくもこなし、その隙間に生みだされた「休息」という小空間を、時に濃密に、時に希薄に彩る絵の具のようなもの
誰のものであったかは忘れてしまいましたが、
「ヒトは社会的な動物である」
という言葉があります。
ヒトという動物は、それぞれが交わり影響を与え合い、そうやって出来上がった社会的ネットワークの中でのみ生きてゆく動物であるのだと
この言葉が示すように、みなさんも日々色々なヒトと関わり、さて休日になれば友達・恋人と共にプライベートな時間をもつことがあると思います。
そして当たり前のことですが、そうして同じ時間を共有した後には、毎回の別れが訪れるでしょう。
「また今度ね〜」
「また連絡するね〜」
気軽なものから
「次はいつ会えるのだろう」
「もっと一緒にいたい」
少しシリアスなものまで、様々な別れがあると思います。
しかしみなさん、こんな経験は無いでしょうか?
別れの時に
本当はもっと色んなことを伝えたいのに
それが出来なかったり、
気軽な風を装って、
「じゃあね〜」
で済ませてみたり
そして
別れた後に少しいたたまれなくなって
メールをするんです
「一緒の時に伝えたかったんだけど……」
メールだと
面と向かって伝えるちょっとした勇気が必要なかったり、
気恥ずかしさが無かったり
頭を整理する時間が得られたり、
良いと思うんです。
でも、
たまには直接いろんな想いを伝えるのも良いと思います。
ちょっとした勇気と頭の整理で、相手に直接
というのも、
よく会うからとか、いつでも会えるから、ということと関係なく
別れの時とは、会っている時間の中で一番濃密であっていいものだと思うから。
伝える言葉でその一瞬を色濃いものにする時もあれば、握手やハグ、はたまた沈黙がその別れを演出することもあるでしょう。
たとえそのハグや沈黙が無骨でも、野暮でも恥ずかしくても
面と向かって、何かを伝えられる方が素敵な時もあるんじゃないかと思います。
相手にもきっと、より響くんじゃないかなって思います。
なんでこんなことを考えたかと言うと、
ぼくはいつも、こういうことが出来ないからです。
いつも気軽な風を装って、
「また会えるから、じゃあね。」
こんな言葉で終わらせてしまいます。
また会えるから、だから、どうしたのだろう。
今まで過ごした時間、それに関する想いは、
また会えるからといって、それまでにきっと風化してしまう
また会えるから、ということは
それまでの想いを伝えない理由にはならない
そんなことを感じたブルネイ最後の時でした。
「人はなかなか変わることが出来ない、でも変わる時は突然に」
いつもぼくはこんな風に考えていますが、
いつかぼくも、もっと上手にお別れが出来るように、変わる時が来るのでしょう。
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